授業が終わり、土日の二連休を前にして、どこか緩んだ空気の中で担任の徳永の僕を呼ぶ声がする。
「ナカシター、ナカシタいるかー」
中下聡、僕の名前だ。教室の前のドアから徳永が入ってきた。
「はい」
と返事をして、荷物をまとめて帰ろうとしている生徒の間を縫うように、徳永のところまで行った。
「いつも悪いんだけど、今日も頼むよ」
ちょっと申し訳なさそうに、三枚のプリントを僕に渡した。僕はこれを賀来崎の家まで届けに行くのだ。
賀来崎は、あまり人と話するような奴ではなかった。学校に来ていたときの印象はいつも一人でいるなあ、という感じだった。
つまり、賀来崎は現在不登校なのだ。プリントは、その週にあった授業の内容、伝達事項など、徳永が個人的にまとめたものと、徳永から賀来崎へのメッセージが書かれていて、賀来崎が学校に来ていた時、一番交流があっただろう僕が渡しにいくのだ。
授業内容に関しては、各教科担任に頼んで書いてもらっているとかで、教員全員がすごく協力的なのだそうだ。といっても教科書の進めたページを書いているぐらいだけど。
賀来崎は、仲間はずれにされていたという雰囲気ではなかった。
自分から一人を好んでいるようだった。不登校になった理由はよく分からない。
いじめられてるのではないかと徳永は不安そうだった。クラスメイトの僕でもそんな風に見えなかったのに・・・。
「一度きいてみてくれないか?」
徳永にそういわれた次の日から、賀来崎は学校に来なくなった。
一応メールで聞いてみた。返信は 「別に、それはないよ」
それを伝えると、徳永はありがとうとお礼を言ってくれた。
賀来崎が一人でいるのを好んでいるのだとみんな認識していたけれど、そういう空気に無頓着というか誰にでも話しかけ回っていた僕だけが彼と話をしていたのだ。 そんな僕に徳永が、
「授業の進行とかも気にしてるだろうし、携帯電話で連絡とってるとも思うけど、様子見も兼ねてこんなプリント作ったから届けといてくれないか?」
ということを僕に言った。
徳永はクラスの状況をよく見ている。僕が適任だと思ったのだろう。
徳永が自ら届けに行くべきような気もするが、徳永いわく
「俺ではプリントは受け取ってくれないようだ」
らしい。詳しくは分からないけれど。
僕は誰に対してもけっこう話しかける割に、それほど仲良くなる事も無かった。
賀来崎にしても「話しかけることが出来る」程度のものだ。
学校から帰るとほとんど交流もなく、メールもアドレスを聞いてからやり取りしたのは2〜3通程度だった。
そんな僕が行ったって受け取ってくれないだろうと思っていたが、意外にも彼はプリントを受け取ってくれている。
そういうわけで、その日も僕が賀来崎の家にプリントを届けいくのだ。
「わかりました」
徳永にそう言ってプリントを受け取り、僕は下校した。
それほど大きくもない二階建ての白壁の家を前に、僕は一人立ち尽くしていた。
さっきから何回も押している呼び鈴に対して反応がない。
以前来たときに、賀来崎が顔を出した窓からは部屋の明かりが見える。家に居るのか単なる消し忘れなのかはわからないけれど、もしかしたら居るかもしれないという思いが僕を迷わせている。
家にいるかどうかだけでも確かめられたらいいのだけれど、電話をしても出てくれないので確認もとれない。
プリントを郵便受けに入れて帰ってもいいけれど、徳永には
「出来るだけ話をしてあげてほしい。ずっと一人では寂しくもなるだろうから」
と言われている。それでなくても、僕は賀来崎と話がしたい。
もう一度電話をかけてみる。やっぱり、出てくれなかった。
そろそろ、諦めるか・・・
何分が経っただろう。僕はついに手渡しを諦める決心をした。
郵便受けにプリントを入れて、自分の家に向かって歩き始めた。
住宅街の同じような作りの家を何軒か横目で見ながら通り過ぎていたら、後ろから声がして足を止めた。
「中下君!」
賀来崎の声だった。僕は振り返らないでその場所に立っていた。しばらくすると、もう一度声がした。
僕は、声を振り切るようにまた歩き出した。
あんなに待ったのに出てこなかったじゃないか、もう一度諦めたのだから。そういう思いが賀来崎と話をしたくなくさせてしまっていた。そのまま、逃げるように家に帰った。
途中で、携帯が鳴った。たぶん賀来崎がメールをくれたんだろう。その場で確認する気になれなくてとりあえず家まで帰った。
自分の部屋に戻ってから、メールをみてみた。
「ごめん、来てくれてありがとう」
月曜日には、徳永に金曜日届けたときの賀来崎の様子を聞かれるだろう。
なんて答えよう・・・
「しばらく待ったのに出てこなかったのに、帰ろうとしたら出てきてなんか話す気がなくなってしまったから逃げた。その後、賀来崎がメールくれて来てくれてありがとうって言われた」
嘘をついても仕方がないからそのままに言うんだろうな。
徳永はきっと許してくれるし、何となく理解してもくれるだろう。
そして、何もなかったように来週も僕にプリント届けてくれるように頼むんだろう。
徳永はそういう人だし、そうしてくれる方が僕は嬉しい。
それから二日後・・・
週が明けて僕は学校に登校する。
朝起きて、二階の自分の部屋からリビングに降りていく。
朝食はいつも用意されている。母親がいつ起きているのか僕は確かめることが出来ない。
朝食を食べて
「いってらっしゃい」
という母親の言葉をきいて僕は家を出た。
僕はいつも学校にはギリギリに着く。
徒歩で通学している僕はかなり余裕を持って家を出ているのだけれど、のんびりと歩いて登校するのだ。少しの寝坊なら、歩く早さで調整できる。
そんな僕が学校に着いたのは始業時間の一分前だった。
教室に入ると賀来崎が僕に近づいてきて
「ちょっと話したいから来て」
と言ってきた。
賀来崎が学校に来たのはもう数ヶ月ぶりだ。その他のクラスメイトも異質な雰囲気にいつもと勝手が違うみたいだ。話しかけられた僕は、あまりの突然のことで混乱していた。
ちょっと来てと言われても、もうすぐ始業時間で出席がとられる。
少し迷いもあったけれど、遅刻の回数が一回減るよりも賀来崎との関係の方が大事だと思って
「うん、わかった」
と言って、自分の席に荷物だけおいて賀来崎と教室を出た。
賀来崎は校門を入ってすぐのところにある、校庭のベンチの横で止まり話し始めた。
「金曜日、プリント届けてくれてありがとう」
賀来崎が、ゆっくりと話しているのを適当に相づちを打ちながら聞いた。
「ずっと部屋にいて、呼び鈴は聞こえてたんだ。中下が来たなって思うとなんか出て行きづらくて、電話も・・・それでも出て行こうって思ったときにはちょうど帰ろうとしていて」
僕が来たなって思うと出て行きづらいとはどういうことだろう。そういうこともあるのだろうと無理矢理納得した。
そこまで賀来崎が言ったところで僕の携帯が鳴った。この雰囲気で僕は携帯に手を伸ばすことが出来なかった。
その音を聞いたせいか、賀来崎の言葉が止まった。
以前話していた時と雰囲気が全然違う。話し方がぎこちないし、話もとぎれとぎれだ。
しばらく沈黙が続いた後、賀来崎が口を開いた。
「今日も・・・今日も来てくれよ」
意外な言葉だった。僕の頭はどんどん混乱していく。
「うん」
わけも分からず僕は答える。今日は別にプリントを持っていったりということもないのでそもそも賀来崎の家にいく必要はない。どういうことかと悩んでいると賀来崎は続けた。
「それを言うために今日は来たんだ。僕はもう帰るよ」
それじゃ、ばいばいとつけくわえて賀来崎はそのまま校門を出て行った。僕はその制服の後ろ姿を見送る。どうやら荷物は何も持ってきていなかったらしい。
あまりに突然のことで動転していた気持ちも収まった頃に、途中で届いたメールを確認した。
「少々遅れても、遅刻にしないから、気の済むまで話してこいってさ」
少しだけ遅刻を気にしていたのでそのメールを見てほっとした。
教室に戻るとホームルームはとっくに終わっていて、一時限目が始まっていた。
「賀来崎と話していたんだってな。宿題をちゃんとやってきてるならこの遅刻は帳消しにしてやるよ」
先生は言った。もちろん、宿題はちゃんとやってきている。
休み時間になると、同じクラスの皆川瞳が僕に話しかけてきた。
「賀来崎君・・・何か言ってた?」
一時期、賀来崎に気があるのではと、一部の男子が噂していたのを思い出す。普段は話もしない僕に話しかけてくるぐらいだ。まんざら適当な話でもなかったのかもしれない。
「いや、別に何も・・・」
素っ気なく返す。そもそもたいしたことを話していない。今日も来てくれって言われたのはたいした話かもしれないが、皆川に言うことでもないだろう。そんな言葉に返ってきた言葉は
「ケチ!」
だったわけだが。別にどうでもいいや。
放課後になると、いつものように徳永がクラスに入ってきて僕を呼ぶ。
「朝に賀来崎は何か言ってたか?」
朝のホームルームに出席しなかったので、この日は放課後の今になって徳永と初めて顔を合わせた。
僕は、金曜日にあったことを一通りと、今日も来てほしいと言われたことを話した。
「そうか、またなんかあったら頼むな。賀来崎は中下と話したがってるようだし」
そうなのだろうか。
「どんな形であれ、賀来崎が学校に来たのは先生は嬉しいよ。また、いろいろと話しかけてやってくれ」
僕は複雑だった。賀来崎が学校に来ても、賀来崎が心を開いた訳でもないし、授業を受けたわけでもないのだから。
「分かりました」
僕はそう答えて教室を出た。
帰りながら、思いついたように賀来崎にメールを送ってみた。
「学校終わった。今からいくよ」
返信はなかった。
賀来崎は家の前で僕が来るのを待っていた。メールを見て、タイミングよく出てきたのだろう。
「ちょっと、うちに入ってよ」
自分の家を指差して賀来崎が言う。僕が着いて一言目がそれだった。
「うん」
そういって僕は賀来崎の家に入った。
玄関からすぐの階段をあがって二階の一番奥のところにある、彼の部屋に通された。真っ直ぐその部屋に向かったので、家に他の人が居るのかどうか分からなかった。ただ、人の気配は感じなかった。
窓から顔を出す賀来崎を何度か見たことがあるが、実際に部屋に入るのは初めてだった。想像していたよりもずっと清潔にされている。黒やメタリックな感じで統一されている部屋は無機質な感じを与える。
賀来崎は自分の机の前の椅子に、僕は適当に床に座った。
黒っぽい棚の上に、ぽつんと一つ置かれた花が目に留まった。部屋の中でそれほど浮いた印象はないけれど、賀来崎の部屋に花があることに驚いた。
それほど賀来崎についてよく知っているわけではないけれど、それでも賀来崎が花を部屋においているようなイメージはなかった。
「ああ、それは皆川がくれたんだ」
しばらく花を見ていると、賀来崎が僕にそう言った。
「皆川・・・」
小さくつぶやいて、僕は固まった。皆川って、賀来崎に花をプレゼントしたのか?二人はどういう関係なんだ・・?少しの間混乱している僕を見て賀来崎は続ける。
「たまにうちに来て、花を置いていくんだ。置いていくっていうか、換えていくんだよ」
頭をかきながら話す賀来崎は、今朝のたどたどしい雰囲気は全くなく不登校とは到底思えなかった。
「そうなんだ」
と僕は言った。それから三十分以上の沈黙が続いた。賀来崎は何を思って僕を部屋に入れたのだろう。
「そろそろ、帰る?」
賀来崎の言葉が沈黙を破った。
「うん」
僕はそういって荷物を手に取った、賀来崎は最後に今日はありがとうと言ってくれた。
それから真っ直ぐ家に帰った。
次の日、徳永に賀来崎の家には皆川がたまに行っているらしいということを伝えた。それはもちろん、僕よりもプリントを渡すのに適任ではないかという意味で言った。
「ああ、そのことか。というか、それ昨日聞いたのか?賀来崎も皆川も何も言わなかったんだな」
徳永が既にそのことを知っていたことは僕を酷く驚かせた。
じゃあ、なんで僕が賀来崎にプリントを届けているのだろう。賀来崎との会話がほとんど続かない僕なんかよりも、ずっといいだろうに。
そんなことを考えている僕を前に、徳永は続ける。
「最初は、皆川が自分で届けるって言ってきたんだよ。でも、皆川はプリントを受け取ってくれなかったって言ってたよ。だから、中下に任せているんだ」
徳永の言葉は僕を混乱させた。部屋に入れても、花を受け取ってもプリントは受け取らないとはどういうことだろう。
そもそも、受け取ってくれなかった事がない僕としては,賀来崎がどんな風にプリントを受け取るのを拒んでいるのかさえ想像できない。
「不思議そうだな。まあ、俺もよくわからないんだ」
徳永も首を傾げていた。
その週は月曜日だけでなく、火曜日、木曜日と賀来崎は僕を部屋に招いた。
授業中に賀来崎からメールがきて
「明日も来てくれよ」
と書いてあるのだ。いつも、わかったとだけ返信している。
いつも、賀来崎の部屋にまで入るのだけれど沈黙だけが続く。しばらくしたら、
「そろそろ、帰る?」
と言われるだけだった。
当然金曜日には、プリントを届けにいき同じように部屋に招かれたが、やはり会話は無かった。
次の週の火曜日、また賀来崎からメールが来た。
「今日も、部屋に来ないか?」
僕はまた、わかったと返信しておいて放課後に賀来崎の家に向かった。
また沈黙が続くのだろうなと思いながら、賀来崎の部屋に入った。
そこには皆川が居た。たまにくると言っていたのだから居るのは不思議なことではないけれど、そういう状況でも僕を部屋に入れるんだなと少し驚いた。
賀来崎が部屋に入って自分の椅子に座り、僕はいつも通り適当に床に座った。
「ねえ、何でプリント届けるの、中下じゃないとだめなの」
賀来崎のベッドを椅子のようにして座っている皆川が言った。
「どうして?」
皆川はさらに続ける。賀来崎は
「さあ、なんでだろうね」
と答えただけだった。それでも、いつものような沈黙は続かなかった。
皆川がずっと話している。賀来崎もそれに少なからず答えている。僕の知らない話題ばかりだったし、いつかの思い出のような話もしていた。
僕は黙ってその会話を聞いていた。
しばらくして、賀来崎が僕に向かって言った。
「君は質問しないね。僕に何も聞いてこないね」
あまりに突然に言われた言葉だったので、僕は戸惑った。
「え、うん」
そういえば、はじめに話しかけた時から、質問ということをしたことがなかったかもしれない。
賀来崎はかすかに笑顔になり、
「明日から学校に行こうかな」
と言った。理由は、僕にはよく分からなかった。僕が質問しないことが関係あったのかどうかすら。世の中分からないことだらけだし、賀来崎は特にわからない。
次の日、賀来崎は学校に居た。
皆川は素直に喜んでいた。